メメントの森だより

思ったこと、備忘録、過去の醜態

がんばらなくていい

がんばらなくていい。

無理に自分の本質を隠そうとして、違う方向に曲げようとして(たとえそれが世間一般が求める型だったとしても)、努力しようとしなくていい。

その努力は、はっきり言って無駄になる。

その無駄な努力をするたびに、否定された自分自身の心は、じくじくと不満と悲しみをため込み、いつか爆発する。

 

私はこのままじゃだめなの?

ありのままで生きていたらだめなの?

苦しい。悲しい。もう嫌だ。

そんな世の中、こっちから棄ててやる。

 

仕事を無理してきた人はそうやって動けなくなる。鬱になる。

ダイエットを無理していた人は摂食障害になる。

 

だから、本当にがんばらなくていい。自分を否定してがんばるのは辛い。

その努力が自己肯定感の土台の上にあるものなら全然かまわない。

より素晴らしくなろうというものだから。

 

でも、もし、自分はダメだから、このままじゃ社会になじめないから、嫌われるから。

そんな思いがベースにある努力なら、今すぐやめてしまえ。

やめて、のびのびと、どんくさくて、気が利かなくて、ダメな自分でいい。

 

誰かに嫌われたっていいよ。

自分が自分を嫌いになって、体も心もボロボロになる方が嫌でしょ?

本当の自分を受入れない奴なんかこっちから願い下げしちゃえ。

 

あなたはあなたのままで振る舞っていい。

他人の目なんか気にせず、そのままで行動すればいいよ。

すべての道は「今」に通じてる

今、法律事務員という仕事をしている。ちょっとかっこよくするとパラリーガルとも呼ばれています。

私は今まで本当にいろんな仕事をしてきたけど、どれもこれも長くは続かなかった。

新卒で入ったのは、証券会社の営業。1年足らずで辞めて、その後は派遣でネット証券のコールセンター。1年ぐらいで辞めて、フリーター。塾の受付したり、キャバしたり、某遊園地だったり。

その頃付き合ってた彼氏が経営してたWEB関係の仕事を手伝って、正社員になるけど特に大した仕事もせず、甘い蜜だけ吸いながら3年ぐらい過ごし。別れたのもあって辞めて、少し農業などの迷走を挟みつつ、結局派遣で大手企業のOLになるも、プレッシャーに負けて1年足らずで離職してしまう。

そこからは早足。広告代理店でライティングのバイトをして、リゾバで北海道へ飛びホテルと農業。終わったら徳島で半年間大型書店で勤務。

働いた場所は名古屋、東京、京都、千葉、北海道、徳島、で今は地元の香川にいます。

もうめちゃくちゃな経歴。思い起こすだけで疲れる。笑

 

しかしこれだけやってきて、何が一番合ってたかって聞かれたら、断然今のパラリーガルって答えられる。

もともと法律に興味があって大学も法学部に行ったのに、 就職はカッコよさ・給料・企業規模・福利厚生ばかりを重視して法律関係には進まず。

んでこれだけ七転八倒してボロボロになった末に、適当に地元の法律事務所受けたら受かったっていうだけなんだけど(笑)、結局いちばん自分に合ってた仕事が見つかったのです。

というか、好きなものはあったのに欲にかまけてずっとよそ見してたんだろうなぁ。就活の時点で法律事務所選んでたらこんな寄り道はなかったのに…と思いつつ、実はこれまでの仕事が今の仕事に活きてるなぁと感じることもたくさんあります。

ビジネスマナーは新卒のときに学ばせてもらったし、電話対応はコールセンターで身についた。なんでもググる癖と知識がついたのはWEB仕事のおかげだし、ライティングは今の文書作成に役立っててる。書店での過酷な低賃金肉体労働があったから今恵まれてると気づくことができた。その他もろもろの経験が今の仕事に全部活きてる。そのおかげで色々な仕事を任されてやりがい持って働けてる今がある。

そう振り返るとこれまでの10年間、なんにも無駄じゃなかったんだなぁって思えるようになりました。

5年ぐらい前の私に言ってあげたいな、今右往左往してボロボロになってても、いつかその経験が役に立つ日が来るよって。だから無駄だってモヤモヤしたり、先が見えなくて不安でも、全部糧にしてやるって貪欲に生きればいいよって。

何にでも挑戦して、転んで、起き上がって、また挑戦して、経験値上げていこう。

自分が選んだ道は結局全部正解。

だからそのまま悩みながら生きて大丈夫!

これからの私も、また悩むことも不安になることもたくさんあるだろうけど、この10年の経験と自分を信じてそのまま進んでいくのみです。

くだらない世界

優しくしてほしかった。

ちゃんとしてほしかった。

ルールを守ってほしかった。

謙虚でいてほしかった。

いつも笑ってていてほしかった、

全部叶わなかった。

この世はくだらないから。

どこまでいってもくだらないことしかないから。

そして例外なく自分もくだらなかった。

世界に期待している自分は、世界がくだらないという真理を知らない馬鹿者だった。

全部、なにもかもくだらなかった。

でも、くだらないことって一番おもしろい。

10代はくだらないことでずっと笑っていられた。

大人になったつもりで忘れてたけど、くだらないことこそが一番楽しい。

この世はくだらないものだらけだ。

だからこそ楽しいもので溢れている。

くだらない世界を楽しんで生きよう。

こころ、軽くして

生きてく中でうっかり陥ってしまいがちなことがある。

それは、難しく考えることの罠。

でも大衆の考えに飲まれたまま生きると、濁った色に染まってしまう。

穢れが漂うなかでどうやってピュアに明快に生きるか。

それは、この世がただのかりそめだと理解すること。本質はここにはないと知ること。

そうしたら、この世のというゲームを楽しむことにシフトできる。

単純に人生という遊びを満喫できる。

職場の嫌いな人も、社会に怒る人も、非常識な人も、自分の人生を彩るためのただの構成員に過ぎない。

怒りや苛立ちを感じさせてくれるモブに感謝しよう。そして苛立ちを客観視して楽しもう。うわー、私いまイライラしてる!って。本質の世界ではイライラすらことすら体験できないのだから。

すべては、この世に体験というゲームをしにきているだけのこと。

この人間体験ゲームの中にいることを知れば、あとは楽しむしか人生を攻略する方法なんてないんです。

恋人という所有は幻想でした。

以前いい仲だった男性が夢に出てきたので、恋愛について改めて考えるようになった今日この頃。

私は恋愛において「好きです。付き合ってください」が何より大事だと考えていた。

それは恋人というお互いが認めた関係になると面と向かって好きと言えるし、休みの日は優先的に会ってくれるだろうし、相手が浮気したときとか自分の誕生日を忘れたときに「なんで!!」と責められるから。

とにかく「自分のものとして扱っていい権利」が手に入るから、その確約のためにも言葉が必要だと思っていた。

だけどそもそもこの考え、めっちゃ間違ってるね?と気づいたのである。。

人間同士は、恋人でも夫婦でも、親子ですら所有できない。

人それぞれ一人ひとり、独立した個体なのだから。

テーブルに並べられたふたつのりんごは、お互いを所有物として干渉することはない。(さとうみつろう著・悪魔とのおしゃべり より)

 そもそも何かを「所有する」ということが、生き物特有の幻想らしい。

たしかに死んだらあの世には何も持っていけないし、食べ物ですら食べたところで栄養かうんこになって終わりだし。

なのに所有の幻想に強く縛られてるから争いが起こって、死者が出て悲しみが生まれる。もしかして人間の苦しみの元凶は、この所有の概念なのか???とすら思えないでもない。

ということで、私はとにかく線引きしたがる所有権主張マンでした。

恋人とは自然発生するものではなく、諾成契約によって発生し、その際はお互いを所有する権利を有する。という独特の恋愛法が私の中にずっとあったのです。

「付き合いましょう」「はい」から恋人というスタートラインを切り、友人と一線を画した人間関係が始まる。目に見えない線が引かれるものとずっと思っていた。

 

でもこれからは、恋人になるとかならないの言葉なんてどうでもよくなってしまおう。

好きだったら遊びに誘って一緒にいれるようにするし、相手もそう思ってくれたならそう思ってくれてるうちは一緒にいる。自分のものじゃないから、相手が他の女の子と遊ぼうが何しようが私には何もできない。それが嫌なら離れていけばいい。いちいち別れるなんて言わない。恋人かどうかなんて線引きする必要なんてない。

今まで「付き合おうとかの告白しない」っていう(大体大人な考え方をしている)人たちをあり得ないって思ってた。

そんなん、相手が遊びだったり既婚者だったら自分が傷つくだけじゃん!ちゃんと恋人って確約とって、傷つけられたときは責めないと!って思ってたなぁ。。

傷つけられるのが怖かったんだね、自分。あとは好きっていう気持ちが無駄になったとき、それでもいい恋愛だったって立ち直れる程の自尊心も持ち合わせていなかったんだろうなぁ。

でも今いろんな考えが変わってきて、やっと言葉がいらないって境地が理解できてきた。

まぁ、これから先すぐに新しい考えのもと行動できるかは分かんないけど…。

他人は自分の所有物にはならない。それは結婚しても同じ。そのことを肝に銘じて好きな人との恋愛を楽しめばいい。

形に縛られて大事なことを見落とすのはもうやめよう!(ぺこぱ松陰寺太勇風)

だから頑張るのやめよって言ってるじゃないか!!!

ただの愚痴と反省と雑談。

もう頑張るのやーめた♪と言った途端、頑張らざるを得ない状況に。。

長く務めた職場の先輩が来月辞めることになって、席も移動して、新しい人が入って。

席が変わった途端、上司からの大量の仕事砲。

あれやって、これコピー、あれ取って、これやって・・・。

先輩はお役御免と言わんばかりにスルー。

新入りさんは何すればいいのか分からず棒立ち(実際は座ってるけど)。

私は急に増えた仕事にあたふた。

頑張ってるつもりはないけど、言われたこと全部こなしてたらまぁ疲れる。

新しい人にも説明していかなきゃいけない。

疲れてるけど気分を奮い立たせるのは、やっぱり「頑張ろう」ってなっちゃう。

そしたら出てくる出てくる、不満とジャッジが。

私は頑張ってるのに、なんでこの人は・・・!

この人こんなこともできないの?

私はそんなこと教えられてなかったけど!扱い違くない?

この環境、地獄か。。

 

やっぱり頑張っちゃうと、世界が厳しくなっちゃう。

私は頑張ってるのに、って不満が出てイライラしちゃう。

相手のことジャッジして、本当はやりたくないのに頑張ってる自分を正当化しようとしてる。

本当はやりたくないのにね。

 

あー。これからどうしよう。

頑張りたくないけど、やらざるを得ない。

むむ、頑張らない態度を出していたら上司も諦めて仕事減るかな??

とにかく頑張りたくなーい!!!

というか、イライラしたくない。

そしたらやっぱり、「頑張らない」ことで、自分もできないんだから周りもできなくていいし、色々許せて優しい世界が出来上がる。

よしっ、頑張るのやーめよ!

でも仕事は降ってくるんだよな、そしたら「出来ません」って言おう。

頑張らないこと

ジャッジしないこと

嫌われる勇気

自分を信じること

それが一番大事ー♪

 

私が32年間、空回りしていた理由

どこに行っても浮く人間でした。

学校でも職場でも、何か浮いてる。何か周りと距離を感じる。何か嫌われる。

何でだ?嫌われないように気をつけよう!と場所を変えて環境を変えて、自分を変えようと色々やったけど、結局馴染めずに敗走。以下同じループ。

地元に帰ってきて就職した今回の職場でも、いつの間にか先輩と溝を感じるようになって。

あれ??何で、いつの間に嫌われた???

仕事慣れるために一生懸命がんばってきたのに、、率先してひとりでがんばったのに…アイツ(別の同僚)より一生懸命やってるのに…

どうしようどうしようどうしよう、、、

 

あー!めんどい!がんばるのやーめよ。もう嫌われてもいいやー。もう素で過ごすことにしよ。

でも素の自分は無力で無能でかっこ悪いんだよなぁ…ハァ…

…もうええやん、かっこ悪くて仕事できんくても!その代わり人のことバカにするのもやめよーな!

仕事できなくても太っててもダサくても独身でもええんやで!

そう考えをシフトしたら気が楽になって、先輩との険悪なムードも無くなった。

 

きっと今まで嫌われてた理由って、

①私はダメだからがんばらなきゃ、空気読まなきゃ、でがんばる

②自分は必死にがんばってるのに、がんばってない人見るとイライラしてバカにする

③自分はバカにされまいともっとがんばる、必死で余裕がない

④周りから「あいつ余裕なくて必死だなー何かナチュラルにバカにしてくるし…近づかないでおこう」みたいになる

⑤浮いた自分を認めたくなくて、周りを見返したくて更にがんばる

以下地獄のループ…

結局自己肯定感が低いのと、人をジャッジしまくることが原因だったと思われ。

ジャッジすると相対的に自分の価値が上がった気になるけど、結果としてその言葉は呪いになって自分に返ってくるからね。

とにかく、まずはジャッジをやめてどんな自分も受け入れ、諦める。がんばらない。

ジャッジをやめて、負の思い込みを取り払う。

そして自然体で過ごす。

そうすれば、もはや浮くとか嫌われるとかどうでもよくなる。

浮いてようが嫌われようが、自分には価値があると分かってるから。

32年間浮きまくってたことが悩みだったけど、これからは呪いを解いてがんばらずに自然体で生きていこう。