メメントの森だより

思ったこと、備忘録、過去の醜態

ストレスは頭の中で作られる?

20代後半からガクッと体力が落ちました。

 

それまではオールしても何とか生きてる、大食い大酒飲みもどんと来い!だったんですが…

 

急に肌が荒れ、体力とメンタルは落ち、お酒を飲むとしんどくなるように。

 

そんな変化を機に、東京から実家へ戻りました。

 

だけど、実家で療養して(るつもりで)も治らない。

そのとき通ってた心療内科の先生は、実家に帰ると治るでしょうと言っていたけれども。

 

結局、何が原因だったかって、今ならちょっとわかる気がする。

 

後々、漢方薬局で「気滞」という症状に当てはまるということを言われて薬を飲んでいたけど、大元の原因は何といっても

 

「ストレス」

 

らしい。

 

ストレスで気が滞って体に不調が出るんだって。

 

ストレスなんて、仕事も辞めたし毎日ぼーっとして生きられてるから無いはずなのに…と思ってたけど、たぶん違った。

 

生き方に歪んだ考えを持ってるから、生きてること自体がストレスだったんだ。

 

そのときの私は

バリバリの他人軸思考、

人の顔色を伺って自分の意見は言わない、

30過ぎた独身女は価値なし(ヒドイ)、

自分の幸せは誰かが持ってきてくれる、

自分で決断を下さずに相手に任せて失敗したら他人のせいにする、

 

というクソな脳内思考だったので、そりゃ自分がないから自分がよく分からないし、人にイライラするし、年齢という呪いに縛られてそれはもうニッチもサッチもいかない状態だった。

 

その考えがきっとストレスを作り出してたんだ。

 

だから、ストレスって環境のせいもあるかもしれないけど、基本的にはやっぱり自分の頭、脳内、思考で作られてると思う。

 

どんな嫌な環境にいても、心持ちを変えればいい世界に見えることもある。

 

こないだメンターに見せてもらった映画「手紙」でのセリフ。

 

「差別のない環境を探すんじゃない。君はここで生きていくんだ。」

 

どんな場所にいたって、嫌なことは必ずついてまわる。

それに逃げるんじゃなくて、向き合う。

 

あれ?さっきの話とはちょっと違うか?

 

でも、この世界は自分の思考で出来ている。

 

素晴らしいと思えば素晴らしくなるし、クソと思えばクソ。

 

私の世界は優しい。

私の下した決断ならそれでいい。

他人にどう思われようが気にしない。

嫌われても大丈夫だし、そもそも嫌われない。

愛されなくても大丈夫だけど、そもそも私は愛されてる。

私は媚びを売ったりしなくても、そのままで価値がある。

 

謎のダメ思考で自分の首を絞めないで。あなたはあなたで大丈夫。

 

そう思って生きたら、少しはストレスがなくなって体の調子も良くなるかもだね。

 

 

 

自分を信じると書いて自信と読む。

この間、苦労人の理系JDと飲みながら話す機会があった。

 

その子は過酷な家庭環境のせいから自己肯定感が低く、自分に自信が持てないでいるみたいだった。

(周りからは人気者で、全くそういう風には見えないんだけど)

 

その飲みの中で、その子が言った言葉。

 

「自分を信じると書いて自信と読みますから!」

 

これは目から鱗だった。

 

たしかに、自分が言ったことを信じて実行し、やり遂げるとどうなるか…?

 

有言実行した私すごい!

やればできるじゃん!

 

自信に繋がるよね。

 

自信ってそういうことだったのか。

自分の考えてることや発言を信じてやりきること。

 

思えば、私は人の目を気にしてその場限りの発言しかしてこなかったなぁ…だから無責任で、それ故に自分に自信が持てないでいたのかなぁ。

 

なんて考えたり。

 

これからは、自分の言ったことを信じて何かをやりきってみることを意識してみよう。

 

そしたら自信に繋がるはず。

やりたくないことをやらない勇気。

私の好きだったバンドが一昨年活動を休止した。

主要メンバーが一人脱退するから、という名目だった。

それから数ヶ月、バンドは名前を変えて生まれ変わった。

それまでの楽曲とは打って変わって、静かで暗いものが多くなった。

 

推しは言った。

「やりたくないことをやらないようにしたら、こういう感じになった。今は音楽が楽しい。」

 

最初はその楽曲の雰囲気に馴染めなかったけど、結局私はその推しが好きだからそのバンドも好きになれた。

 

今推しやバンドはいきいきと楽しそうに活動しているように見える。

 

昨日読んだ心屋さんの本にも書いてあった。

「好きなことをするためには、やりたくないことをやらない勇気を出そう」って。

 

そこで、私のやりたくないことは何かを考えてみた。

 

…働くこと?

…部屋の掃除?

 

ううん、そんなうわべのことなんかじゃないな。

 

「人に気を遣うこと」

「愛想をふりまくこと」

「媚びを売ること」

 

だわ。

 

これって結局、

「自分は人に嫌われないようにビクビクしないと大丈夫じゃない」って思いこみからやっちゃってる行動なんだよね。

自己否定から起こしてる行動。

 

だから、前提を変える。

「私は人に媚びを売らなくても大丈夫。嫌われても大丈夫。自分はそんなことでは傷つかない」って。

 

そう思うようになると、だいぶ心が楽になって無駄に気を遣うことが少なくなってきた気がする。

 

やりたくないことをやらない勇気。

嫌われる勇気。

そしてもやっとしたら、やりたくないことを一度改めて考えてみるといいと思う。

 

本当にやりたくないことをやらない日が来るまで。

 

2020.2.8追加

この文章を読んで改めて考えたけど、私のやりたくないことってそもそも自己否定なんだわ…!

逆説的に言うと、やりたいこと=自分を認めてあげること。

だけどありのままじゃ人に嫌われるから〜とか浮くから〜とかで気を遣ったり愛想振りまいたりしてた。

私がやりたくないことって、気を遣うことでも愛想振りまくことでもなく、自己否定することなんだ。

対外的にどうとかじゃない。問題は自分の中にあった。

 

もし自分の価値を認めてあげられたら、愛想振りまこうが気遣いしようが苦じゃない。そもそもちゃんと自分を認めてあげられてるから。

例え嫌われようとも、自分には価値があると信じられてるから、余裕があって自然も愛想よくできるし気遣いもできる。

 

あー、やりたいことやりたくないことって表面だけ考えるんじゃなく、ちゃんと深掘りして深掘りして、隠された真相を見つけなきゃいけないんだなぁ。

読み返してよかった。。

なぜ?なぜ?と自問自答して突き詰めていくことが大事なんだと勉強にもなりました。

 

 

この世界は全て、自分の見方次第。

今日は昨日のカレーをリベンジすべく、職場近くのアジアン料理屋さんへ。

よくテイクアウトでカレー弁当を利用していて、そのときサービスやら美味しさを知っていたので期待大。

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こちら、サラダとドリンク、ナンライスおかわり自由で1000円。


ナンはこれもギーなしで(最近はギー無しのが主流なの?)ふっくらしていて美味しい。

カレーも味がしっかりしてスパイスも効いてて美味しい。

ちなみにデザートのヨーグルトも具沢山で甘くて美味しい。


でも、昨日のお店よりはカレーの量が少なく、ラッシーも薄めだったかな。


あと、インドカレー屋の店員さんてファニーな人が多いイメージだったんだけど、昨日と今日はそうでもなかったな。


ということで分かったんだけど、色んなものにいい面悪い面があって、それのどこに注目するかで自分の世界の見方が変わるんだよね。


ここで、「カレー少ねぇし店員の愛想も悪いし、あんま良いお店じゃねぇな!」と思ってしまうと世界はネガティブになってしまうし、


「ナンもカレーもヨーグルトも美味しいし最高!」と思えばポジティブな世界に変わる。


世界は自分の見方ひとつで大きく変わる。


自分のいる世界や環境をキラキラしたものに変えたいなら、なるべくポジティブに考えることだね。


あー、カレー美味しかった!

失敗しても大丈夫〜カレー屋で我思う〜

今日は10年来の恩人?メンターと急きょ築地でシースーしてきました。(ご馳走してもらいました)


前職の上司だったので、昔話に花を咲かせ昼から飲んで食ってカラオケして…楽しかったー!


そして夕方ごろ解散。

私は無性にうどんが食べたくなったので、うどん屋を探す。

近くにはなまるうどんがあるらしいので、そこに行こうとしたけどウロウロしてるうちに気分が変わる。


そこで、ずっと食べたかったインドカレーのお店に入る。

銀座の一等地。地下街。

カレーセット1350円。

ナンおかわり無料。


本当は知り合いが早稲田でやってるお店か職場近くのインドカレー屋に行きたかったんだけど、大雨が降りだしたし面倒くさいのでそこに決めた。


カレー2種とサモサ、サラダ、チキンティッカがついているセットにマンゴーラッシーも追加オーダー。

カレーは海老とほうれん草。

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ナンは小ぶりでギー(バターみたいなの)無しであっさりめ。


サラダは無難。

チキンティッカは辛うまだった。


ただ、ほうれん草カレーとサモサはまずかった…


ここでいつもの私なら

「こんなところで食べるんじゃなかった」

「失敗した、やっぱうどんにすればよかった」

「あーあ、お金の無駄だ。。」


と思ってたはず。


でも、今日は違うように考えるようにした。


「あー、お店選び失敗しちゃった!でもいっか、失敗しても大丈夫だし!これぐらいのお金なら大したことないし、私はこんな小さな失敗なんともない!」

と考えるようにすると、不思議とこのまずいカレーを食べるのも面白くなってきた。


そういえば、今朝もメンターと待ち合わせするときに失敗した。


築地待ち合わせだったんだけど、LINEの読み間違えでなぜか別のところ待ち合わせと勘違いしてしまった私。

向かってるときに気づいて、お金も時間もロスしてしまった。


そこでいつものネガティブな私なら「あーあ、最初に確認しておけばお金も時間も無駄にせず済んだのに…」と思ってしまうんだけど、今回は「あー、失敗してしまった!でも数百円しか損してないし、そんな小銭の損ぐらい私にとって大したことない!」と考えるようにした。


そしたらイライラしないし凹まなかった。


というか、今まで本当にささいな失敗でクヨクヨしてたんだなぁ。


失敗するのが怖い=私は大丈夫じゃない


っていう方程式だから、


私は大丈夫=失敗しても平気


に変わる。

自分を信じていれば失敗しても立ち直れるし問題ないって分かるから、怖くない。


自分は大丈夫なんだよ!

失敗して不味いカレー食おうが大丈夫!

損しても大丈夫!

そんなことで価値が落ちるようなことはない!


そう思い込めた一日でした。

明日も「大丈夫な私」でいくぞ〜〜


https://youtu.be/_ZEGUfWSgls

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追記。


お会計をしたところ、1860円でした。

セットは1350円、ラッシーは280円だと思ってたから聞いたら、ラッシーは430円とのこと。


すっげーモヤモヤして、なんか言おうと思ったけど揉めるのめんどくさかったから納得したフリして立ち去ったけど。。


その後再考すること数分。

ここは、面倒くさくても自分の意見を言えばよかったのか。

それとも、たかだかいくらかの小銭なんだから気にすべきではないのか。。


と考えてこのブログを読んだ結果


http://k-nali.hatenablog.com/entry/2016/12/10/223044


私は今、カレーとラッシーを食べたかったから注文したのだ。

損得やお金など関係なく。

だからそれの対価を払ったのだから後悔しない。


という結論に至りました。


もちろん、、次からはちゃんと逃げずに自分の意見も言おうと思ったけど。

自分が今やりたいことをしたのだから、それに対して納得する。

無理にでも納得する。


それが自分のケツを拭くということよね!たぶん。



逃げたとしても、追ってくる。そのループを断つには、向き合うしかない。

おとといまで一ヵ月半、北海道で仕事をしていました。

最初の約1ヶ月はいわゆるリゾバというやつでリゾートホテルへ。

残りは農業法人で住み込みの短期アルバイトでした。

 

北海道に行った目的は、「暑い夏を東京ではなく涼しいところで過ごすため」のただひとつ。

20代後半から体を壊し、アトピー、気象病や慢性疲労を抱えているので、都会の8月の暑さを切り抜ける自信がなかった。

というわけで北海道行きを決めたものの、7月はバイト4つのかけもちで多忙&めんどくささから、リゾバの派遣会社に登録するのも遅くなり、こだわりも強いことからギリギリまで仕事が決まらないという詰みっぷり。

どうにか7月の終盤で、「稼げる」「1.5ヶ月の勤務でOK」(社保切替の関係上)という条件をクリアしたところが見つかり、エントリー。無事受かって8月から働くことになりました。

 

さて、北海道での詳しいリゾバ体験はまたいつか書くとして、実際この北海道避暑出稼ぎの結末は。

 

「逃げ」でした。

 

ひとつめのリゾバも農業も、住環境と社長が合わなかった。

汚い寮と社長の傲慢さが嫌で嫌でしょうがなかった。

だから期間を満了せずに、体調に言い訳をつけて逃げた。

 

思えば今までやってきた仕事も全部体調や人間関係の不調で逃げて終わってきた。

元彼と会うのが辛いから。体調崩して実家に帰りたいから。お局様が怖いから。

 

そもそも北海道に行った理由からして逃げだった。

東京暑くて体調が不安→じゃあ北海道に逃げよう!

逃げで始まり逃げで終わる。

 

でも、逃げてまた始めたって、また逃げたくなる出来事はやってくる。

その壁から逃げまわっていたって、向き合って乗り越えるまで何度もその壁はやってくる。

 

私たちはその壁に試されている。人生には何度もそのお試しがやってくる。

 

それを教えてくれた人が、農業の職場の中にいた。

 

いつまで逃げてるんだ。自分の決めたことの責任は自分でとれ。

ちゃんと明確な意思を持って決断し、それを最後までやりきれ。

自分のケツは自分で拭け。

 

思えばわたしは、自分で決断せずに、親や彼氏に決断をゆだね、自分の決めたことの責任を取ろうとせず、全て他人事で人のせいにしてばっかりで、嫌なことからは逃げてばっかりだった。

 

悲しいかな、そうやって30年間生きてきた。

 何一つ自分で決められず、自信のない自分で生きてきた。

 

ずっと違うと思ってた。

このままじゃダメなんだとぼんやり思ってたけど怖かった。

 

その理由が、この北海道で分かった。

 

自分の人生は自分で決めるんだ。

決めたことにはしっかり責任を持たなきゃいけないんだ。

 

他人に決めてもらったり、他人の目線を気にして選ぶのは違う。

自分をしっかり持つんだ。

 

そのために、やらなきゃいけないことはいっぱいある。

 

わたしは、これから東京での仕事をやめて、実家に帰って、まずは親と向き合う。

 

人の顔色ばかりうかがってきたこと、

親に全て決断させて自分は責任から逃げていたこと、

自分の意見を言って人とぶつかることから避けていたこと、

それらとこれから向き合うんだ。

 

まさに遅くやってきた反抗期。

 

わたしは自分をちゃんと見つけたいし、もう逃げない人間になりたい。

 

そのためのブログ。

その軌跡を残すためのブログ。

 

3日坊主、責任感がなかったわたしだけど、これを機に変わる。