メメントの森だより

思ったこと、備忘録、過去の醜態

やりたくないことをやらない勇気。

私の好きだったバンドが一昨年活動を休止した。

主要メンバーが一人脱退するから、という名目だった。

それから数ヶ月、バンドは名前を変えて生まれ変わった。

それまでの楽曲とは打って変わって、静かで暗いものが多くなった。

 

推しは言った。

「やりたくないことをやらないようにしたら、こういう感じになった。今は音楽が楽しい。」

 

最初はその楽曲の雰囲気に馴染めなかったけど、結局私はその推しが好きだからそのバンドも好きになれた。

 

今推しやバンドはいきいきと楽しそうに活動しているように見える。

 

昨日読んだ心屋さんの本にも書いてあった。

「好きなことをするためには、やりたくないことをやらない勇気を出そう」って。

 

そこで、私のやりたくないことは何かを考えてみた。

 

…働くこと?

…部屋の掃除?

 

ううん、そんなうわべのことなんかじゃないな。

 

「人に気を遣うこと」

「愛想をふりまくこと」

「媚びを売ること」

 

だわ。

 

これって結局、

「自分は人に嫌われないようにビクビクしないと大丈夫じゃない」って思いこみからやっちゃってる行動なんだよね。

自己否定から起こしてる行動。

 

だから、前提を変える。

「私は人に媚びを売らなくても大丈夫。嫌われても大丈夫。自分はそんなことでは傷つかない」って。

 

そう思うようになると、だいぶ心が楽になって無駄に気を遣うことが少なくなってきた気がする。

 

やりたくないことをやらない勇気。

嫌われる勇気。

そしてもやっとしたら、やりたくないことを一度改めて考えてみるといいと思う。

 

本当にやりたくないことをやらない日が来るまで。

 

2020.2.8追加

この文章を読んで改めて考えたけど、私のやりたくないことってそもそも自己否定なんだわ…!

逆説的に言うと、やりたいこと=自分を認めてあげること。

だけどありのままじゃ人に嫌われるから〜とか浮くから〜とかで気を遣ったり愛想振りまいたりしてた。

私がやりたくないことって、気を遣うことでも愛想振りまくことでもなく、自己否定することなんだ。

対外的にどうとかじゃない。問題は自分の中にあった。

 

もし自分の価値を認めてあげられたら、愛想振りまこうが気遣いしようが苦じゃない。そもそもちゃんと自分を認めてあげられてるから。

例え嫌われようとも、自分には価値があると信じられてるから、余裕があって自然も愛想よくできるし気遣いもできる。

 

あー、やりたいことやりたくないことって表面だけ考えるんじゃなく、ちゃんと深掘りして深掘りして、隠された真相を見つけなきゃいけないんだなぁ。

読み返してよかった。。

なぜ?なぜ?と自問自答して突き詰めていくことが大事なんだと勉強にもなりました。